人権ワークショップ 座談会レポート
「こどもの人権」を考える座談会
子どもが「子どもらしく」
生きるために、できること
子どもが幸せに健やかに成長していくために必要な人権。「こどもの人権」は、私たちの暮らしや親子関係、学校生活にどのように生かされているのか、どのように育て、守っていくべきか。県立大学で子どもや子育て支援を教える小池由佳さんが、支援活動を行っている方々や、子どもを持つ親たちと一緒に考えた。

️・参加者【上段左から】
小池由佳(こいけゆか):新潟県立大学人間生活学部子ども学科教授。高校生の子どもを持つ
西垣薫(にしがきかおる):保育士。20歳と16歳の子どもを持つ
寺島幸優(てらしまゆきまさ):チャイルドラインにいがた代表。新潟県スクールカウンセラー
【下段左から】
松山由美子(まつやまゆみこ):NPO法人はっぴぃmama応援団代表。「はっぴぃmamaはうす」を拠点に「ママの笑顔を応援」している。20代の子どもを持つ
小林さやか(こばやしさやか):NPO法人所属。13歳の子どもを持つ
小黒淑子(おぐろよしこ):23歳、13歳、10歳の子どもを持つ
「こどもの人権」って
何だろう?
小池由佳(以下小池):まず、こどもの人権について、少し説明させてください。国連が「子どもの権利条約」を定めたのは1989年。柱は4つ。1つ目は差別されないこと。2つ目は「その子どもにとってもっとも良いことは何か」を第一に考えること。3つ目は、食べ物や寝る場所などが保障されること。4つ目は子どもが自分の意見を自由に表すこと。共通して大事なのは「子どもの意見を聴くこと」です。新潟県でも2024年から「新潟県こども条例」が施行され、国連の条約を前提に、具体的にどう進めていくかが示されました。この4つを頭に置きつつ、まず、みなさんが「こどもの権利」について思うこと、体験したことをうかがっていきたいと思います。

小黒淑子(以下小黒):実は私、離婚経験があって。いきなり暴露ですみません…。子どもと父親の話になった時に「会いたい時に会いたいと言っていいんだよ。父親と会うこともあなたの権利なんだよ」って話をした時に、ポカンって顔をして。「権利」という言葉がよく分からなかったみたい。
小林さやか(以下小林):「人権」について、逆に子どもから教えられることもあります。「あの人、どんな人?」なんて聞くと「あの人らしさがあるから、それでいいんじゃない?」と。あるいは私に対して「お母さんの人生なんだから、したいことをすればいい」と。多様性を認め合う教育が浸透しているのか、互いを認める意識が育まれている気がします。
西垣薫(以下西垣):今の話を聞いて、ランドセルのことを思い出しました。今は女の子でもブルー系を選んだり、大人っぽいキャメルを選んだり。好きなものを自由に選べることは大事だと思う一方、「ママがいいって言ったから」と大人に忖度する発言も聞かれる。同時に「パパママ大好き」という心はすごく育っているけれど、子どもらしく主張できる権利とか主体性をもっと認めてあげたいと思う。
わが子のランドセル選びは「何色でもいいんだよ」と伝えたけれど、結局「ママと一緒がいい」って王道の赤に。何色を選んだとしても、その子の選択を認めてあげられるといいなと思います。

寺島幸優(以下寺島):チャイルドラインを通して感じるのは、不安を感じている子どもが増えていること。よくよく話を聞くと、周りにも親にも気を遣っている。顔色をうかがって、親に失望されることを恐れたり。僕が活動を始めた2011年の頃は「いじめられて嫌だ」「思いどおりにいかない」と、直接的な悩みや葛藤を訴える声が多かったんですが、最近はいい子でいたいという姿も見えてくる。
小池:寺島さんはスクールカウンセラーとして学校にも行かれていますね。
寺島:学校では、不登校の子どもとほかの子どもたちの関係が良くなっていると感じます。以前は不登校の子どもに対するいじめや孤立の話も聞きましたが、今の子どもたちは多様性を受け入れて、個人を尊重している。一方では輪を乱さない、主張しすぎない。チャイルドラインで見えてくる姿と重なります。
小林:周りとうまくやっていきたいという思いと、自身の「こうしたい」という気持ち。子どもたちが協調と意思のはざまで、もがいている気がしますね。
「あなたのままでいい」。
そう言えるよう親をサポート
小黒:真ん中の子が今、学校に行けていないんですが、確かに彼女の中にも葛藤を感じます。「自分を主張していいんだよ」って言ってきたけれど、集団の中では主張しきれなくて苦しんでいる。でも、子どもが自分の力で乗り越えていけると信じて、親としては「大丈夫だよ」って見守ることなのだと思っています。
小池:子どもに対して「あなたには権利がある。思うままに生きていい」と言えるのと同じように、周りにも「権利」がある。「私」は大事、「あなた」も大事。そこをどう折り合っていくか。松山さんは、乳幼児の頃から親子が一緒にいるところを見ていて、どうですか?
松山由美子(以下松山):今回のテーマを聞いた時から、思っていたことが2つあります。まず、こどもの人権を守るにはママの笑顔が一番ということ。ママが穏やかでいられれば、子どもに対して「あなたはあなたのままでいい」と言ってあげられる。逆にママが自分を押さえていると「あなたのために言っているのよ」という言い方になってしまうことも。ただ普段、ママは気持ちを話せる機会がなかなかないし、自身を犠牲にしがち。だからはっぴぃmamaはうすでは、吐き出していい、「(口に出さないまでも)思っていい」と伝えている。自身の気持ちを吐き出したり、受け入れられたりすると穏やかな時間が増えて子どもとの時間が少し楽になる。

小池:頼ることができる第三の場があるのは本当に貴重です。
松山:大事にしてもらった子どもは、友だちも大事にします。もう一つ、権利をのびのび育てるには、親があまり先回りをしないことだと思う。見ていると、子どもがハイハイしていった先に「危ないからダメだよ」ってすぐに引き戻すことも多い。危ないからとか、ほかの人に迷惑がかかるとか。でも、その経験も社会勉強の一歩。親自身、少し引いて見守れるといいんじゃないかな。
小池:家でも、リスクがあるものは置かないようにしたり、公園からは遊具が撤去されたりしている。大人が過度に関わることで、子どもたちの育つ力を妨げている面はありそう。
松山:施設で子どもが段差をよじ登る姿を見て「登れるんですね。知らなかった」と驚くママもいる。育つ権利を見守ることができるのも、やはりママ自身の安心があってこそだと思う。
子どもの「育つ権利」。
どのように育む?守る?
松山:子どもは、学校を行き渋ったりして、ちゃんと権利を主張する。だから、不登校の子どもには「ちゃんと自分の気持ちを伝えられてよかったね」と言うし、ママには「気づくことができてよかったね」と伝える。いずれも大切な一歩だから。
寺島:ただ、親の気持ちの中には「こどもの権利を尊重したその先、どうなるの?」という不安もある。不登校になった子どもとどう接していいかわからないから、簡単に「休んでいいよ」とは言えない。
小黒:先が見えないのは確かに不安。
寺島:それは、僕たち自身、権利のことを考えてこなかったからと思う。子どもの頃は「権利」なんて言葉は聞かなかったし、そういう考え方があることも知らなかった。だから親になった今、子どもたちは守られているけれど、自分たちは守られていない気がしてしまう。
松山:誰しも、自分がされてきたようにしかできないもの。親として学ぶ場というか、育つ場がなかったからかもしれない。そして、忘れられがちなのが、ママ自身にも守られる権利があるということ。

小池:「守られる権利」で言えば、子どもの「生きる権利、育つ権利」では、その命はもちろん、成長発達も守られることが示されています。今、ひとり親の家庭を対象にお米を届ける「にいがたお米プロジェクト」に関わっていますが、育つ権利の危うさを感じることがあります。中には、ぎりぎりの生活をしていて「明日のお米があるかどうか」と悩んでいる。毎年、応募者が増えていることからも、事態は深刻になっていると考えられます。
寺島:緊急性の高い子どもの声は、チャイルドラインにいがたにも届きます。車の走行音が聞こえる中で「親が怖くて家に帰りたくない」とか、親が怒声をあげている中で、泣き声を抑えながら電話をかけてくる子。「今が辛くて死にたい」「オーバードーズや自傷行為が止められなくて辛い」という声も届きます。
小池:「権利」と「人権」を整理すると、権利は法律によって「してもいい」と認められていること。一方、こども条例などで認めている「人権」は、誰もが生まれながらに持っている権利で、どこまでも守られるべきもの。「生きる権利・育つ権利」が守られていない子どもたちがいることをまず知ってもらいたい。そして、できる範囲のことで手を貸してほしい。少しでも子どもたちの状況を和らげる役割を私たち一人ひとりが分けて、担えればと思います。
松山:「子どもを尊重しよう」「こどもの権利を守ろう」という思いとぶつかるのか、ママからはよく「どこまでが甘やかし?」と聞かれます。
小池:例えば、子どもが約束の時間を過ぎてもゲームをやめなかったら「今はその時間ではない」と理由とともに伝えることも重要です。「しつけ」という言葉はマイナスイメージで受け取られがちですが、社会で生きていくために必要な約束事やルールを身に付けることで、相手も自分自身も生きやすくなるもの。甘やかすことは社会性を育てることにはつながりません。
松山:子ども自身ができることまで、手を出し先回りするのは「甘やかし」で、これは子ども自身の育つ権利を奪っているとも言えるのではないでしょうか。親としては、子どもができるかどうかを見極め、成長に沿って手を引き、自分でやれることを増やしていくのが役割かなと思います。

小池:互いの人権を尊重しようと思うと葛藤はつきもの。だからこそ対話が必要で、しつけもその一つ。人権をきっかけに、大人が当然と思っているしつけや教育を見直せるといいですね。
松山:気づかないうちに差別したり、あなた自身(=人権)を否定するような発言をしてしまうことがある。きょうだいと比べて「どうしてあなたはできないの」と言ったり、「いつもあなたは」と全否定したり。親は、本心ではそこまでは思っていないんだけど「もし、思ってしまっても子どもの前では言わない」とか「行動を叱って。その子を否定しないで」と伝えています。
「こどもの人権」を守るため
私たちにできること
小池:条約を通してこどもの権利が整備されたことで、私たち自身が、「子どもとどのように向き合うべきかの指針」が示された、そう考えることができるのではないでしょうか。悩んで立ち止まった時に、親である自分が子どもと正しく関われているのか、そして、自分自身の人権も社会の中で大事にされているのかを確認することができる。だから、そうした指針があることで、子どもも大人もラクになれる。きょうだい間の差別の話も出ましたけど、差別と認識することで、差別しないこと、されないことの大切さに気づき、子ども自身も誰かを差別しないようになる。そういう意味でも今、こどもの人権は、大事な時期に来ていると思います。ではこれから、私たちには何ができるか。
西垣:こどもの権利も大事だけれど、大人の感じる権利も大事と気づかされました。「あなたはあなた、私は私」って、どちらも認め合うようにしたいと改めて思った。
小林:親は、子どもが選択する前に「どうしたいの?」「どっちが好きなの?」と急かして言ってしまいがちだけど、「促さない、待ってみる」と自分に言い聞かせて、「あなたが決めていい」ってことを親子間ではもちろん、親同士でも聞き合えるような関係性を築きたい。

小池:子どもは体と心が守られ、人との関係性が良ければ、機嫌よく育っていくし、子どもの機嫌が良ければ親にもゆとりが生まれる。それは私自身、松山さんに一番最初に教えてもらったことでした。
松山:ママの笑顔も、子どもが機嫌よく過ごしていることでつくられる。
小黒:不登校の娘には学校以外に居場所があって、そこに先生みたいな大人がいてタメ口で話したり、茶化したりもするんだけど、それは根底に「認めてもらっている」という実感を持っているんだと思う。
小池:お互いに対するリスペクトがあるんでしょうね。大人、子どもというポジションを超えて相手を敬う。敬い合う。それが社会をよりよい方向に変えていくのではないでしょうか。
松山:自分を認める自己肯定感を、大人も子どもも少しでも高めていけると、人とのコミュニケーションの中で、建設的な話ができたり、前向きなことが言えます。

小林:親が「自分」を生きていれば、子どもも「自分」を生きられる。その逆も同じだと思う。お互いに作用しあって、自己肯定感が自信になっていくんだろうなと最近、感じています。
寺島:昔は「人との接し方は学ばなくていい」という考え方だったけれど、今はそうではない。親も学んでいかないといけない。「人権」という言葉に焦点が当たり始めているのは、そういう社会の背景があると思う。加えて、いろいろな価値観が認められ、多様化する社会では、どんな未来を目指していいのか、子どもも大人も分からなくなっている。そんな時、人権は、目安になり、助けになると思う。
小池:人権という考え方が、私たちの力になる。私たちは、未来に生かせる道具を得た、そう思っていいんでしょうね。
「子どもが知ること、そして大人が学び続け守ること。こどもの権利、知っていましたか?」