人権ワークショップ 座談会レポート
「性的指向や性自認を理由とする偏見や差別」を考える座談会
一人ひとり違う、そして同じ。
「性」を「自分ごと」として考えよう
私たちにはいくつかの性があります。生まれながらにして持つ性(生物学的な性)、自分で認識している性(性自認)、どの性別の人に恋愛感情を抱くか(性的指向)、自分が見せたい性別(性表現)の4つの柱で分類されます。男と女、性的多数派と少数派、LGBTQ。セクシュアリティ(性のあり方)にまつわる枠組みをどのように捉えたらいいのか、どのようにしたら枠組みを取り払いだれもが生きやすい社会になるのか、語り合いました。

・参加者【左から】
さとちん:タレント、ラジオパーソナリティ。LGBTQであることを公表し、講演なども行う。
小倉朝妃(おぐらあさひ):会社員、セクシュアルマイノリティ新潟県生徒交流会代表。教員が発起人となった同交流会で、セクシュアリティについて考える活動を行う。
霜鳥(しもとり)めぐみ:ユースクリニックにいがた代表、看護師、保健師。幼児期の子どもから大学生、保護者や先生・専門職らに包括的な性教育を行う。
生越月菜(おごせるな):ユースクリニックにいがたスタッフ。教職大学院で性の多様性や性教育の実践を学んだ後、思春期保健相談士として活動。
関久美子(せきくみこ):新潟青陵大学短期大学部人間総合学科准教授。障害やセクシュアルマイノリティなど多様な属性を持つ人と対話する取り組みを行う。
LGBTQは、誰もが持つ
セクシュアリティの一つ
さとちん:性を考えるキーワードはいろいろあります。性的指向(Sexual Orientation セクシュアルオリエンテーション)、性自認(Gender Identity ジェンダーアイデンティティ)、LGBTQ。あさひさんから説明いただけますか。
小倉朝妃(以下あさひ):性的指向と性自認は、それぞれの頭文字をとってSOGI(ソジ)といい、すべての人が、どの性別の人を好きになるか(性的指向)、そして自分をどの性と感じているか(性自認)を持っているという考え方です。LGBTQとは、レズビアン(女性同性愛者)、ゲイ(男性同性愛者)、バイセクシュアル(両性愛者)、トランスジェンダー(出生時に割り当てられた性別とは異なる性自認を持つ人)、クエスチョニング(自身の性的指向や性自認が分からない)やクィア(性的マイノリティを包括する言葉)の略。大前提として知ってほしいのは、LGBTQの人だけでなく、自身の性別に違和感のない性的マジョリティの人も、SOGIに含まれるということ。私自身のことを言えば、性的指向は女性で、自認はノンバイナリー(性自認が男性・女性のどちらにも当てはまらない、当てはめたくない人)、ビアンです。
さとちん:ビアンと称するんですね?
あさひ:レズという言葉が侮蔑的というか否定的なニュアンスで使われてきたこともあり、90年代以降、この略称が使われるようになりました。

さとちん:あさひさんがビアンを意識したのはいつ?
あさひ:中学生の頃、いいなと思った初恋の相手が同級生の女性でした。自分の感情に何の抵抗もなく、手紙を渡したら「女の子同士は付き合えないでしょう?」と。「恋愛は男女間でしかあり得ないんだ」とショックだったけれど、「なら、自分が男になればいいのかな」とトランスジェンダーとして暮らし始めました。
さとちん:ご両親には話したの?
あさひ:話しました。高校生になってスマホでLGBTQという言葉を知って「あ、これだ」と。性転換の手術も考え始めていたので「戸籍に関わるから伝えないと」と。母からは「あなたのことだからあなたが頑張りなさい」って。認めてくれたのかもしれないけれど、突き放された感じがしました。
霜鳥めぐみ(以下おめぐ):今でこそ「性の多様性」が強調され、学校教育で伝えられる機会も増えましたが、10~20年前は知る機会さえなく、同性同士は付き合えないと思われている方が多かったのかもしれません。
生越月菜(以下るな):小学生の頃、女の先輩に対して「好きかも」と思ったけれど「やばい」とバイアスがかかった。だから、あさひさんが「気持ちを伝えよう」とニュートラルになれたのは、バイアスを感じなくていい環境だったかもしれない、と思ったりする。

さとちん:だいたい思春期の女子は、クラスメートの男子より部活の先輩に憧れるって、ありましたよね。
関久美子(以下関):女子高ではその傾向が強い。最近の学生はオープンで「バイセクシュアルです」とさらっとレポートに書いてくる。あっけらかんとした「性の揺らぎ」に触れる一方で、社会に受け皿はあるのか、悩み打ち明けられない子もいるのではと思うこともあります。
「誰にも言えない」を言える
人、場所を身近なところに
さとちん:恋愛は自由でいい、それは間違いない。でも「男は男らしく、女は女らしく」という押し付けがどこかに残っているのも事実。特に地方だとその傾向が強いのかな。私も10年前は「おかま」[注]と言われたし、知り合いの中には「親には絶対言えない」と表向きは結婚しながら「同性が好きなことは墓場まで持っていく」と言っている人もいる。
あさひ:自治体も変わってきていて、新潟県も新潟市も性的マイノリティのカップルを認める制度を設けている。性の多様性を祝福するプライドパレードも県内各地で行われていて、私も「誰かの未来のために」と積極的に関わってきましたが、最近パートナーができて。
さとちん:わっ(拍手)

あさひ:でも県のパートナーシップ制度は、一方が県内在住なら届出できますが、私の住む市ではパートナーが県外在住の場合、利用できない。
さとちん:私も遠距離恋愛多かったから、その問題は切実。制度があっても利用できないって、残念よね。
あさひ:差別や偏見について言えば、私自身はあまり感じたことはないんですが、LGBTQの活動を会社から「伏せてくれ」と言われたとか、解雇された場合もあると聞きます。SNSなどを見ても、まだまだ差別や偏見は根強い。
さとちん:表には出ないけれど、いじめにあった人の話も聞きます。
おめぐ:特に10代から20代の青年期にあたるユース世代は、SNSなどで情報を得やすい一方「誰にも言えない」「誰に聞いたらいいか分からない」と一人で悩みを抱え込みがち。身近なところに相談できる場所が必要だと思って「ユースクリニックにいがた」の活動を始めました。商業施設にコーナーを設けたんですが、最初は中高生に来てもらえず、半年経ってやっと来ていただけるようになった。

さとちん:今、ユースクリニックに来てくれる子たちはどんな悩みを?
おめぐ:「自身の性が分からない」「心と体の性が一致しない」「自分と同じ考え方の人がいなくて不安」など、関先生の言う「性の揺らぎ」が多い。中には「打ち明けたら、すぐに広まってしまった」「非難された」とトラウマを抱えてくる子もいます。相談に来るきっかけが親や先生ではなく、近所の人や頼れる大人から私たちにつながることが多いのが特徴です。
さとちん:信頼できる第三の大人の存在って大切。はじめに誰に言うか、難しいわよね。
るな:教員をしていた時「性教育が好き」と大きな声で言ったら、相談に来てくれた生徒がいました。「分かってくれるかもしれない」という目印をこちらも発信していくことが大事だと思う。
性って何?わたしって?
ラベルをはがせば、見えてくる
あさひ:最近では「ああ、LGBTQね」と軽く言われることもありますが、出会った最初から「悩んでいるんでしょう、大変なんでしょう」と決めつけられるのはちょっと。
おめぐ:そもそもLGBTQは特別なカテゴリーではなく、誰もが持つセクシュアリティ(性のあり方)の一つ。生物学的な性、性自認、性的指向、性表現の4つを掛け合わせたところに、その人のセクシュアリティがあると知った時、「無理やり男女の枠やLGBTQなどのラベルに当てはめなくていいんだ」とモヤモヤが晴れた。同時に「自分の性って何だろう?」と問い直すこともできた。
るな:ラベルについては、少数派が仲間を見つけるときの目安になったり、自身を確立しやすくなったりする面もあると思う。ただ最終的には「私は私」。性の分類の中で、どこに自分がいるかは点でしかないし、まったく同じように誰かと重なるわけではない。
さとちん:ラジオのリスナーの方から「さとちんはさとちん」「そんなさとちんが好き」って言ってもらってすごくうれしかった。

関:ラベルやセクシュアリティの問題は「ヒューマンライブラリー」の取り組みが参考になるかもしれません。「人を本に見立て読者に貸し出す図書館」のことで、2000年にデンマークで始まりました。「本」は、マイノリティ的な属性を持つ人で、「読者」はその「本」の語りを聞く聞き手。直接、対話することでお互いを知り、多様な価値観や生き方への理解を深めます。
この取り組みを通して感じるのは、対話することで「その人」がくっきりと見えてくること。はじめは、理解の糸口として知的障害やX(エックス)ジェンダー(性自認が男女の枠にとらわれない人)、パンセクシュアル(相手の性のあり方に関係なく、人を愛するセクシュアリティ。全性愛)などとカテゴライズしますが、話すうちにそれらが剥がれ、消えてゆく。例えば今日、初めてお会いしたあさひさんも、お話を聞いていく中で「見えて」きている。

おめぐ:LGBTQという括りやラベルは単なる入口でしかなくて、直接、会って話すと、解像度が全然違う。だからこそユースクリニックでは「出会う」という接点をたくさんつくっていきたいと思っています。
るな:「知る」は大前提。知らないと、何気なく「彼氏できた?恋人作らないの?」と言ってしまうけど、それで傷つく人がいることを忘れないでほしい。
「どっちつかず」でいい。
そのままを受け入れて
さとちん:今、学校での伝え方はどうなっているんでしょうか。
おめぐ:以前に比べて、多様性に触れる機会は増えているけれど、先生の中には、どう伝えていいのか、不安や戸惑いがあるのも事実。伝え方も「少数派を理解しましょう」という多数派目線になっているのも気になる。そもそも「一人ひとり違う」という学びが、もっと小さな頃、就学前からあってもいいと思う。
るな:高校の保健体育の教科書では最近、LGBTQではなくSOGIに触れるようになった。マイノリティのラベル付けではなく、自身を含めた性のあり方を考えよう、という第一歩にはなっていると思う。
あさひ:高校時代、先生に伝えたことで変わったという体験がありました。制服はスカートかスラックスかを選べたけれど、ブラウスに付けるリボンが嫌で。好き嫌いではなくセクシュアリティの問題だったから「言うしかない」と思い担任の先生に伝えた。そうしたら意外にちゃんと聞いてくれて、人権教育に力を入れている先生を紹介してくれた。結局、卒業式に先生がネクタイをつくってくれて、それを校長先生から受け取り、付けて出席しました。友達や後輩から「めっちゃかっこいいじゃん」とも言ってもらえた。その後、学校ではネクタイも正式に制服に加えられました。

関:あさひさんが言った一言をきっかけに、先生や学校が学んで、変わってくれた。
さとちん:人と人がちゃんと向き合えば、一人ひとりが違うことも受け入れられるはず。なのに、ことが「性」となると分けたがりますよね。
るな:「当てはめなければ」という考えは根強い。どこかにハマってくれないと不安なのかもしれない。
あさひ:黒なの?赤なの?と問われれば「え、オレンジなんだけど」と思う。一時期、第3の性と言われるXジェンダーを自認していたけれど、「男」「女」と同じく「X」と枠にはめられることに違和感が生まれ、さらには「Xぽくない」と言われて。以来、どちらにも当てはめない「ノンバイナリー」を名乗り始めました。
関:自分と違うものを受け入れることは簡単じゃない。だから無理に受け入れようとか、全部を理解しようとしなくてもいいと思う。定義したり評価したりせずに、そのままふわっとしていてもいい。白黒つけたがる人が多いけれど、世の中には答えが出ないこともある。「どっちでもいい」とか「どっちつかず」のままでいられることも大事だと思う。
おめぐ:「どっちつかず」でいる力、大切ですね。響きました。
「誰か」の話じゃない。
「自分ごと」にすれば、変えられる
あさひ:性のあり方(セクシュアリティ)は一人ひとり、みんな違う。マイノリティの人たちだけが定義されるものではなくて、すべての人が「あなたは?」と問われている。「あなたも私も、どんなセクシュアリティであっても同じく社会の一員」と認め、「自分ごと」として考えてほしい。そうでないと「LGBTQの話」と人ごとで終わってしまう。
おめぐ:ある人から言われたんです。「一人ひとり名前が違うようにセクシュアリティも違うと思ってくれたらいい。分からなかったら、聞いてくれたらいい」と。
さとちん:男らしさ女らしさって話をしたけれど、男女も一つのラベルに過ぎないんですよね。
関:先ほどの制服のリボンの話を聞いて、個人の問題ではなく、社会の側の問題だと思った。だからこそ、本人たちの努力に任せっぱなしではなく、私たちも努力して、壁を取り払っていかなくてはならない。

さとちん:あなたはそっち、私はこっち、ではなくシャッフルしてみたら? 今日みたいな座談会も混ざり合ってやってみたら、もっとおもしろくなりそう。
あさひ:「セクシュアルマイノリティ新潟県生徒交流会」には、性的マジョリティの方も来るんです。この間、シスジェンダー(出生時に割り当てられた性別と自分の性別が一致している人)に対して「与えられた性に違和感ないって、どういうこと?どうして?」と質問が飛んですごい盛り上がった。
るな:異性にしか恋愛感情を抱かない人たちにとっては、思いもよらない世界かもしれな いけど、性別が完全に一致してるとは言えない私からしたら、「そうそう!!」ってその会話に入りたい。
おめぐ:いろんなセクシュアリティの方が混ざり合うことで、お互い、枠組みにとらわれない対話ができるのかもしれない。「理解し合いましょう」ではなく、それぞれの違いにそのまま触れることで、性の捉え方を広げられるかもしれません。
さとちん:セクシュアリティのこと、これからもいろいろな形で発信して、多くの人にボールを届けていきたいですね。あなたが誰でもいい、どんなセクシュアリティでもいい。一人ひとりがオンリーワンなんだからって、強く伝えていきたいと思います。
「分かり合うことより、「違う」と認めてそばにいること、できますか?」